日本文学全集48 林芙美子集

林芙美子 「放浪記」「風琴と魚の町」「牡蠣」「晩菊」「浮雲」の五作を収録

 収録順に作品を読んでいると「浮雲」まではプロレタリアートが代名詞でも問題ない作品だなぁという意識しかないが、「浮雲」にきてガラリと変わる。「女性特有の赤裸々ふしだら性生活的な作品は気持ち悪くて読めない」という人が最も嫌悪する作品になっていたのだ!私はそこまで女性特有の作風のものに嫌悪感は感じないけれども、林芙美子のこの「浮雲」に限って言えばNO!。なぜならばプロレタリアートと赤裸々ふしだら性生活のミックスだったからである。主人公のゆき子はこれまでの作品と同様に根無し草生活を送っているけれど、戦前は東南アジアで優雅に不倫しながら暮らし、戦後はなんだかんだ美味しい思いをしているので口糊の生活は感じさせない。しかし戦後の困窮する社会の歴史としての知識は日本人としてあるわけで、そんななか仕事もしないで不倫生活(相手の家に押しかけて奥さんと対面したり、奥さんの居ぬ間に旅行にいったり一般的な行動)かぁという脱力感でいっぱいになる。
 しかしその不倫生活の根拠というか、肉欲に走る原動力というものは作中でも主人公たちが未練たらしく思い出す戦前すごした東南アジアでの優雅な生活である。終戦直前まで本土とは真逆の生活、女中が朝コーヒーを注ぎ、テラスでパンを食べながら今日の仕事はどうしようかと……はまさにブルジョアジーである。この作品はプロレタリアートブルジョアジーの対比の作品であるんだなぁと考えると、どちらにも人間の本能として肉欲は外すことのできない重要な要素である。と考えると不快感もさほど感じない。